もしも29歳無職の私が「酒の肴」と題したエッセイを書くとしたら

酒の肴

 

酒の肴について、母と一度取り決めをしたことがある。

 

母も私も酒飲みで、まずはビールで乾杯をし、お腹が膨れてくると炭酸ではないものを飲むのが我々の共通項である。

 

私は、ビールの後は、和食であれば日本酒を飲む。洋食であれば、肉なら赤ワイン、魚なら白ワインといった具合に食べるものによって飲み物を選んでしまう。食べるために飲み、飲むために食べるのだ。なんとも生意気なものである。

 

一方、母はというと、食事に関わらずビールの後は赤ワインを好んで飲む。それも高級なものはダメだ。なるべく安く、ほとんどぶどうジュースのような薄いワインが好物である。

 

そんな、私達二人が、食事も一通り終わり、何も食べたくはないのだが、酒はまだ飲みたいということがあった。母は、相変わらず、安物の赤ワインを飲んでいた。私は、何か酎ハイのようなものを飲んでいた記憶がある。

 

さて、何を肴に飲むものかと。母が、本当の酒飲みは塩で酒を飲む、といったことを申したのである。しかし二人揃ってそれはいけないと、その考えは払拭した。私達は酒飲みではあるが、本当の酒飲みなのだろうか、いや、そうではない。もっと正確に言うと、そう思いたくはない、ということである。

 

その時、母と私の間に、塩では酒を飲まないという、堅い約束が結ばれたのである。少なくとも私はいまだにその約束を守っている。では、その時は結局を酒の肴にしたのかというと、ふりかけである。そう、あのご飯にかけるふりかけである。

 

この時は、甘辛く味のついたかつおを乾燥させたものや、のり、ごま、などがはいっている、ふりかけだったのだが、これが酒にかなり合うのだ。ご飯と合うのだから、当然といえば当然なのだが、想像よりも酒が進んでしまうのである。

 

この話を、周りの人間に話すと、ふりかけも塩とほとんど変わらない、などと言われるのだが、塩とふりかけは全く違うのである。ふりかけは、種類も豊富であり、味に奥行きも深みもあり、それが酒をさらに美味しくさせるのだ。

 

さらに私はこれを拡大解釈し、先日ごま塩で酒を飲んだのだが、これがまた酒の肴として優秀なのだ。ごまの香りと、程よい塩味が自ずと酒を欲してしまうのである。

 

もう一度言っておく。私は塩では酒は飲まない。