人生のモットー言語化のススメ

米澤穂信の小説で<古典部シリーズ>というものがある。アニメ化、実写映画化もされているのでご存知の方もおられるかと思う。その<古典部シリーズ>に出てくる、折木奉太郎のモットーは「やらなくていい事はやらない、やらなくてはいけない事は手短に」である。作品の中では、モットーを掲げるようになった経緯の話が面白いのでぜひご一読していただきたい。

 

人生のモットー的なものはお持ちだろうか?

 

大層なものでなくても、人生哲学のようなものだ。さらに大袈裟になってしまったが、簡単に言ってしまうと、気をつけている事だ。私は持っておくことをおすすめする。それを言語化できてるとなおさらよいと考えている。

 

ちなみに、私は「相手の予想以上のことを、自発的にする」をモットーにしている。予想以上のことを、お金もらってできる人は多く存在するだろう。予想通りのことを自発的にできる人も、もちろん存在する。私はどちらも両立させたい。

 

まず、モットー掲げると行動指針になり得る。迷った時、選択を迫られた時に、周りの意見や空気、損得など余計なことを考えずに自分の意思を貫けるようになる。

 

例えば、電車でお年寄りに席を譲る場面。年寄りではない、と言う方を実際見たこともあるし、断られたこともある。そんなことを知っていると躊躇いがちである。しかし、私のモットーでは、なるべく早く譲らざるを得ない。他者が気づく前に譲らないといけない。そうしないと「予想以上」にならないからである。

 

小さいお子さん抱いてる方、2人で隣同士で座りたい方々にも譲る。私が端の席に座っていて、ベビーカー、大きめの荷物を持ってる方がいれば迷う間も無く譲る。モットーだからである。完全な自己満足ではあるが、自分のモットーを行動指針にして生活している。

 

次にモットーは自分の中だけでなく、周りにも伝えられる方がいいと考えている。モットーを言語化すると、肩書や、キャッチフレーズのようになる。わかりやすいフレーズで言語化をすることを強くおすすめしたい。

 

少し脱線するのだが、グーグルのブランド理念が「あらゆる好奇心を、瞬時に満たす」らしい。「好奇心を満たす」だけではなく、「あらゆる」と「瞬時」にがついてるのがポイントだと個人的には考える。グーグル検索は、膨大な量の情報にアクセスできる。大量な情報にも関わらず、かなり速い。これは、ブランド理念を基にした企業努力の結果だと推測できる。

 

極端な話だが、この理念には、質や正確さは求められていない。「高品質で情報量が少ない」ではなく「質は普通でも情報量が多い」事が求めらる。同じ好奇心を満たすにしても、「アクセスしにくいけど好奇心を満たす」のではなく「アクセスのしやすさ」や、「スピード」が求められている。

 

話を戻すと、個人のモットーは、企業やブランドの理念のようなものだと考えられる。仮に「人生を楽しむ」っていうモットーを掲げるとしても、「毎日、楽しむ」や、「人と一緒に楽しむ」など何かワードを付け加えると、モットーがキャッチフレーズのようになる。自分にとっては行動指針に、周りにとっては肩書のようになる。

 

この必要性を強く感じたエピソードがあった。

 

以前、部署内が忙しくの協力が得られなかったのが原因で他部署とのやりとりでミスをした人がいた。他部署からミスを指摘された時に、部署内から、まず怒られた。部署が忙しいとわかっていて、手伝いもせずに怒られたことを理不尽に感じたそうだ。本人は自分のミスなので、他部署に謝罪に行くと、そこでまた怒られた。

 

その後、部署に帰る途中で、これは本人が全面的に悪いのだが、壁を殴って穴をあけてしまった。本人と仲良くしていたので、事情を聞いた。本人は反省しており、かなり後悔をしていた。

 

話を聞いていくと、理不尽に怒られたことだけが原因ではなかった。「自分は助け合いの精神を持って働いてるのに、周りは助けてくれない」「他部署とも助け合って、持ちつ持たれつの関係じゃないのか」としきりに述べていた。

 

この本人とは仲良くしていたのだが、初耳であった。まず私は、それを周りと共有してたか聞いてみた。すると本人は、かなり驚いていた。おそらく「言わなくても伝わってる」「みんな自分と同じように考えてる」などと思っていたのだろう。

 

いくら壮大で高尚なモットーでも掲げてるだけではいけでは意味がない。

 

モットー掲げて言語化した方がいい、と書いているが、私は「相手の予想以上の事を、自発的にする」というモットーを言語化するまでにかなり時間がかかった。モットーを掲げるのにもエネルギーが必要で、言語化となると、また違うエネルギーを使わないといけなかった。

 

ただ、エネルギーをかける価値があると私は思っている。私はモットーを掲げる前、特に何も考えずに生きていた。そんな時、ある人から「自分のいいところって何だと思う?」と聞かれた。

 

私は特に何も考えずに生きてはいたが、前向きな思考だと思っていた。そのおかげで何も考えていなくても平気でいられたのだろう。そこで、その問いに「前向きな思考だと思う」と答えた。

 

しかし、その人からは、「多分違う」と否定された。この人は、私を一番近くで見ている人だったので、この評価は、あながち間違っていないと思う。そこで言われたのは、「他人のために何かができること」だと言われた。

 

言われてすぐは、全くピンとこなかったが、言われてみると、人が嫌な気持ちになる様を見るのはすごく嫌だった。自分がよければいいという考えが全くできない。電車で席を譲ることも相手のためもあるが、困っている人を見るのが嫌なので、譲るのだ。理由はともあれ、「相手のために何かできるのはいいこと」だと言われた。「そんな思考をしている人は珍しい」「それがいいとこなんじゃないか」と言われた。

 

初めて、自分のいいところについて考えた。多くの人はもっと早く気づく、もしくは考えているだろう。私の場合、気づき自体が遅かった。しかも、自発的ではなく他人に指摘されて考え始めた。そのため、自分に対してわかりやすくする必要があった。そこで言語化しようという発想に至った。今となればこの判断が良かったと思っている。

 

モットーを言語化をする前は、先ほどもあったように特に何も考えずに生活をしていた。仕事も、特に何も考えず働いており、言われたことだけをこなしていた。あとは時間が過ぎるのを待っているだけであった。仕事が終わったとて、何をするわけでもないので宙ぶらりんのような状態であった。

 

モットーを言語化してからは、言われたことは、すぐ終わらせる。言われたことプラスのことをするなど「予想以上」のことをするように心がけた。それに加えて、以前は言われたこと、決まったことしかしていなかったが「自発的に」仕事を探すようになった。

 

その結果、仕事においてできないこと、わからないことが明確になった。言われたことは、できると思われていて頼まれる。決まったことは慣れでできている。それ以外のことをしようと思うとその段階ではできないことが出てくるのである。

 

仕事中に何度も行い、慣れてできるようになるものもあった。しかし、知識不足などでできないことも、もちろんあった。そのため、仕事以外の時間で本を読んだり、勉強をしたりする時間が増えた。仕事に関係する資格を取得したりもした。

 

仕事以外でも、変化があった。対人関係においても、今までは受け身だったので、楽しめていないことが多くあった。だが「自発的に」人と接することで、人との時間を有意義だと感じれるようになった。「予想以上のことを自発的に行う」のでほんの少しモテるようにもなった。

 

私の場合は、モットーを掲げる以前に問題があったとは思うが、モットーを掲げて言語化しただけで、明らかに充実した人生を送れるようになった。自分のいいところを意識したモットーを掲げる、普段気をつけていることがあれば、それを言語化するのがいいと思う。

 

劇的な変化は生み出さないかもしれないが、人生のモットーを言語化することを私はおすすめしたい。