M-1から考えるブランディング

M-1の敗者復活戦と決勝を見たのですが、すごく面白かったです。もともとお笑いが好きで、特に漫才のネタが好きなんで、余計に楽しめました。年に一度のお祭りのような存在で毎年楽しみにしています。

 

今回のM-1の決勝を見てて、「M-1獲るのにもブランディングが必要」と感じました。コンビのブランディングが勝敗を分けたのではないかと、素人ながらに推察しました。

 

最近、ブランディングっていう言葉をよく聞くようになり、本屋にはブランディングに関連する書籍が多く並んでいます。ブランディングの専門家ではありませんが、「ブランディング」という言葉だけが一人歩きしている感覚を以前から持っていました。

 

ブランディングは「100点のモノを100点に見せる」っていうことが本質だと思います。

 

「100点のモノを100点に」の部分を言い換えると、本当の価値を、ありのままに、ということです。80点しかないモノに下駄を履かせて、100点、120点に見せるのは嘘ですし、虚偽、詐欺にあたります。逆に100点のモノを80点のように伝えてしまうともったいないですし、ブランディングができていないとなってしまいます。

 

さらに「見せる」という部分もポイントで、どう「見られる」かを前提としてブランディングするのではなく、どう「見せる」かを、まず意識することも大事だと思います。受動的ではなく、あくまでも能動的に、ということです。

 

M-1の話に戻ります。最終審査の票がかなり割れたことが物語っているように、どのコンビのネタも面白かったです。お笑い好きなだけで、詳しくもありませんし、ネタには好みもあります。あくまでブランディングの観点だけでいうと、マジカルラブリーは、まさに「100点のモノを100点に見せる」ということの結果優勝されたと思います。

 

以前、決勝で最下位に沈んでしまった時とスタイルや構成は大きく変わっていないにも関わらず、今回、優勝したということは、マジカルラブリーの100点のネタが100点として伝わったということです。

 

「見られる」ことを意識していれば、あのネタはしないでしょうし、そもそも最下位に沈んだ時点でスタイルを変えていると思います。どう「見せる」かだけを考えていたとしか思えません。

 

逆にブランディングの観点でもったいないと感じたコンビが2組います。「東京ホテイソン」と「オズワルド」です。

 

東京ホテイソンは、独特な口調のツッコミが一番おもしろいところだと思います。今回のネタでいうと、謎解きの答えである、予測できないおもしろワードを独特な口調でツッコミとして言うところです。

 

しかし、審査員のオール巨人から、「頭を使わないといけない」のように評されてしまいました。おもしろい部分がおもしろいと伝わっていないのです。世代間のギャップもあるかとは思いますが、100点のネタが100点として伝わっていません。

 

以前の東京ホテイソンは、ボケの動きに対して、ワードセンスだけの独特な口調のツッコミという感じでした。最近はこの「謎解き」のネタのように意味のない言葉を独特な口調に乗せ、違う笑いになっているなと思っていました。実際このネタも面白かったので、面白いネタが面白いと伝わっていない点が残念だな、もったいないなと感じました。

 

オズワルドは、審査員2人から真逆のことを言われていました。松本人志からは、「静かな感じで見たかった」のように評され、逆にオール巨人からは、「大きな声で」みたいなことを言われていました。

 

昨年、優勝したミルクボーイの1本目のネタのあとがオズワルドで、ミルクボーイで盛り上がった後のオズワルドの静かめなネタを松本人志は評価していました。今年は直前が大声でつっこんでいた、おいでやすこがだったため、オズワルドは静かな感じで、と松本人志は期待していたと思います。逆にオール巨人は、他のコンビと比べると物足りなく感じるから「大きな声で」と評したと思います。

 

どちらの評価も一理あると思います。ネタ順や、決勝に残った他のコンビも評価に関係してくるは当然です。ただこの真逆の評価をした2人ともが全く同じ88点という点数をつけたのです。同じ点数にも関わらず、評価が分かれるのは見せ方に問題があると思います。どう「見せる」か、ではなく、どう「見られる」か、に意識がいってたのではないか、ということです。

 

M-1は4分しか時間がなく、その中に多くのボケをいれ、なおかつ後半に畳みかけるような笑いがあるネタが評価される傾向にあります。オズワルドの今回のネタも、それに倣って去年に比べると序盤からボケが多く、後半は勢いが増し、ウケていたように思います。審査員のナイツ塙は、去年より上手くなっていると評していました。

 

審査員がいる大会なので、ある程度見られ方を意識するのは当たり前ですが、「100点を見せるネタ作り」というよりかは、「100点に見られるようなネタ作り」をしていたのではないかなと誠に勝手ながら思います。

 

たらればではありますが、もし東京ホテイソンが笑いどころをわかりやすく見せ、100点のネタを100点に見せていたら、オズワルドが、100点に見られるネタ作りではなく、オズワルドを100点に見せるネタ作りをしていたら、結果はもしかしたら変わっていたかもしれないなと思いました。

人生のモットー言語化のススメ

米澤穂信の小説で<古典部シリーズ>というものがある。アニメ化、実写映画化もされているのでご存知の方もおられるかと思う。その<古典部シリーズ>に出てくる、折木奉太郎のモットーは「やらなくていい事はやらない、やらなくてはいけない事は手短に」である。作品の中では、モットーを掲げるようになった経緯の話が面白いのでぜひご一読していただきたい。

 

人生のモットー的なものはお持ちだろうか?

 

大層なものでなくても、人生哲学のようなものだ。さらに大袈裟になってしまったが、簡単に言ってしまうと、気をつけている事だ。私は持っておくことをおすすめする。それを言語化できてるとなおさらよいと考えている。

 

ちなみに、私は「相手の予想以上のことを、自発的にする」をモットーにしている。予想以上のことを、お金もらってできる人は多く存在するだろう。予想通りのことを自発的にできる人も、もちろん存在する。私はどちらも両立させたい。

 

まず、モットー掲げると行動指針になり得る。迷った時、選択を迫られた時に、周りの意見や空気、損得など余計なことを考えずに自分の意思を貫けるようになる。

 

例えば、電車でお年寄りに席を譲る場面。年寄りではない、と言う方を実際見たこともあるし、断られたこともある。そんなことを知っていると躊躇いがちである。しかし、私のモットーでは、なるべく早く譲らざるを得ない。他者が気づく前に譲らないといけない。そうしないと「予想以上」にならないからである。

 

小さいお子さん抱いてる方、2人で隣同士で座りたい方々にも譲る。私が端の席に座っていて、ベビーカー、大きめの荷物を持ってる方がいれば迷う間も無く譲る。モットーだからである。完全な自己満足ではあるが、自分のモットーを行動指針にして生活している。

 

次にモットーは自分の中だけでなく、周りにも伝えられる方がいいと考えている。モットーを言語化すると、肩書や、キャッチフレーズのようになる。わかりやすいフレーズで言語化をすることを強くおすすめしたい。

 

少し脱線するのだが、グーグルのブランド理念が「あらゆる好奇心を、瞬時に満たす」らしい。「好奇心を満たす」だけではなく、「あらゆる」と「瞬時」にがついてるのがポイントだと個人的には考える。グーグル検索は、膨大な量の情報にアクセスできる。大量な情報にも関わらず、かなり速い。これは、ブランド理念を基にした企業努力の結果だと推測できる。

 

極端な話だが、この理念には、質や正確さは求められていない。「高品質で情報量が少ない」ではなく「質は普通でも情報量が多い」事が求めらる。同じ好奇心を満たすにしても、「アクセスしにくいけど好奇心を満たす」のではなく「アクセスのしやすさ」や、「スピード」が求められている。

 

話を戻すと、個人のモットーは、企業やブランドの理念のようなものだと考えられる。仮に「人生を楽しむ」っていうモットーを掲げるとしても、「毎日、楽しむ」や、「人と一緒に楽しむ」など何かワードを付け加えると、モットーがキャッチフレーズのようになる。自分にとっては行動指針に、周りにとっては肩書のようになる。

 

この必要性を強く感じたエピソードがあった。

 

以前、部署内が忙しくの協力が得られなかったのが原因で他部署とのやりとりでミスをした人がいた。他部署からミスを指摘された時に、部署内から、まず怒られた。部署が忙しいとわかっていて、手伝いもせずに怒られたことを理不尽に感じたそうだ。本人は自分のミスなので、他部署に謝罪に行くと、そこでまた怒られた。

 

その後、部署に帰る途中で、これは本人が全面的に悪いのだが、壁を殴って穴をあけてしまった。本人と仲良くしていたので、事情を聞いた。本人は反省しており、かなり後悔をしていた。

 

話を聞いていくと、理不尽に怒られたことだけが原因ではなかった。「自分は助け合いの精神を持って働いてるのに、周りは助けてくれない」「他部署とも助け合って、持ちつ持たれつの関係じゃないのか」としきりに述べていた。

 

この本人とは仲良くしていたのだが、初耳であった。まず私は、それを周りと共有してたか聞いてみた。すると本人は、かなり驚いていた。おそらく「言わなくても伝わってる」「みんな自分と同じように考えてる」などと思っていたのだろう。

 

いくら壮大で高尚なモットーでも掲げてるだけではいけでは意味がない。

 

モットー掲げて言語化した方がいい、と書いているが、私は「相手の予想以上の事を、自発的にする」というモットーを言語化するまでにかなり時間がかかった。モットーを掲げるのにもエネルギーが必要で、言語化となると、また違うエネルギーを使わないといけなかった。

 

ただ、エネルギーをかける価値があると私は思っている。私はモットーを掲げる前、特に何も考えずに生きていた。そんな時、ある人から「自分のいいところって何だと思う?」と聞かれた。

 

私は特に何も考えずに生きてはいたが、前向きな思考だと思っていた。そのおかげで何も考えていなくても平気でいられたのだろう。そこで、その問いに「前向きな思考だと思う」と答えた。

 

しかし、その人からは、「多分違う」と否定された。この人は、私を一番近くで見ている人だったので、この評価は、あながち間違っていないと思う。そこで言われたのは、「他人のために何かができること」だと言われた。

 

言われてすぐは、全くピンとこなかったが、言われてみると、人が嫌な気持ちになる様を見るのはすごく嫌だった。自分がよければいいという考えが全くできない。電車で席を譲ることも相手のためもあるが、困っている人を見るのが嫌なので、譲るのだ。理由はともあれ、「相手のために何かできるのはいいこと」だと言われた。「そんな思考をしている人は珍しい」「それがいいとこなんじゃないか」と言われた。

 

初めて、自分のいいところについて考えた。多くの人はもっと早く気づく、もしくは考えているだろう。私の場合、気づき自体が遅かった。しかも、自発的ではなく他人に指摘されて考え始めた。そのため、自分に対してわかりやすくする必要があった。そこで言語化しようという発想に至った。今となればこの判断が良かったと思っている。

 

モットーを言語化をする前は、先ほどもあったように特に何も考えずに生活をしていた。仕事も、特に何も考えず働いており、言われたことだけをこなしていた。あとは時間が過ぎるのを待っているだけであった。仕事が終わったとて、何をするわけでもないので宙ぶらりんのような状態であった。

 

モットーを言語化してからは、言われたことは、すぐ終わらせる。言われたことプラスのことをするなど「予想以上」のことをするように心がけた。それに加えて、以前は言われたこと、決まったことしかしていなかったが「自発的に」仕事を探すようになった。

 

その結果、仕事においてできないこと、わからないことが明確になった。言われたことは、できると思われていて頼まれる。決まったことは慣れでできている。それ以外のことをしようと思うとその段階ではできないことが出てくるのである。

 

仕事中に何度も行い、慣れてできるようになるものもあった。しかし、知識不足などでできないことも、もちろんあった。そのため、仕事以外の時間で本を読んだり、勉強をしたりする時間が増えた。仕事に関係する資格を取得したりもした。

 

仕事以外でも、変化があった。対人関係においても、今までは受け身だったので、楽しめていないことが多くあった。だが「自発的に」人と接することで、人との時間を有意義だと感じれるようになった。「予想以上のことを自発的に行う」のでほんの少しモテるようにもなった。

 

私の場合は、モットーを掲げる以前に問題があったとは思うが、モットーを掲げて言語化しただけで、明らかに充実した人生を送れるようになった。自分のいいところを意識したモットーを掲げる、普段気をつけていることがあれば、それを言語化するのがいいと思う。

 

劇的な変化は生み出さないかもしれないが、人生のモットーを言語化することを私はおすすめしたい。

基本は大事

朝はだいたい、近所の公園を走るようにしている。公園といっても住宅街にあるような公園ではなく、緑地公園と呼ばれる、野球場や、テニスコートなどもある大きめの公園だ。

 

緑地公園と呼ばれるだけあって、多種多様な植物が生えている。近頃は朝は霧がかかっている日も多く、その中で見る植物は思いの外幻想的だ。大きな公園なので幅広い層に利用されている。ウォーキングや、犬の散歩はもちろんのこと、ランニング、何人かでラジオ体操しているなんていう集団も見かける。

 

この公園の中で一番広い広場があるのだが、そこでは毎週日曜になると太極拳をしている。それも数人なではなく、何十人という規模なのだ。何十人が朝の薄暗い中で、さらに霧なんかかかっているとなると、もはや中国である。何年も前に行った台湾旅行を不意に思い出してしまった。

 

広場から少し離れたところでも太極拳らしき動きをしている男性を見かけた。おじさんというよりかはおじいさんと呼ぶのが相応しい年頃の男性だった。近づいてみると、ある違和感に気づいた。この男性、テニスのラケットを持っているのだ。太極拳をしているのではなく、テニスの素振りをしていたのである。

 

次の日も、その次の日も、その男性を見かけた。くる日もくる日も素振りをしているおじさんを「エアテニスおじさん」と勝手に名付けた。いつ見ても、テニスというより太極拳であることに変わりはないのだが、いつの間にか、その姿を見るのが朝の楽しみになっていた。

 

そんなある日、いつもの場所にエアテニスおじさんがいなかったのである。季節の変わり目でもあり、体調を崩したのかと心配になった。あまり集中できず、あたりをキョロキョロしながら走った。

 

どこからともなく、ハーモニカの音が聞こえてきた。大きな公園なので、楽器を演奏している人は、たまにいるのだが、見ず知らずのおじいさんを勝手に心配している私からすれば、のんきにハーモニカなんかを吹いている場合じゃない、という気持ちになった。

 

音色の主は50代から60代といった年の頃の男性で、お世辞にも上手い演奏とは言えなかった。石垣にもたれながら演奏していたのだが、その石垣を見た私は驚きを隠しきれなかった。エアテニスおじさんが壁打ちをしていたのである。

 

壁打ちというと、壁とラリーをするイメージだと思うのだが、エアテニスおじさんは違った。太極拳のフォームからサーブのようなことを繰り返しているのである。返ってきたボールはまだ打ち返すことはできない。すべて自分の後ろに転がっていってしまっている。

 

だが、ずっと素振りをしているだけから、壁打ちができるようになるのは大きな進歩ではなかろうか。おじいさんがである。私は改めて基礎の基礎が大事だということを思い知らされた。もうエアテニスおじさんと呼べなくなる日はもう目の前なのではないだろうか。

 

次はハーモニカおじさんの成長に期待したい。

もしも29歳無職の私が「酒の肴」と題したエッセイを書くとしたら

酒の肴

 

酒の肴について、母と一度取り決めをしたことがある。

 

母も私も酒飲みで、まずはビールで乾杯をし、お腹が膨れてくると炭酸ではないものを飲むのが我々の共通項である。

 

私は、ビールの後は、和食であれば日本酒を飲む。洋食であれば、肉なら赤ワイン、魚なら白ワインといった具合に食べるものによって飲み物を選んでしまう。食べるために飲み、飲むために食べるのだ。なんとも生意気なものである。

 

一方、母はというと、食事に関わらずビールの後は赤ワインを好んで飲む。それも高級なものはダメだ。なるべく安く、ほとんどぶどうジュースのような薄いワインが好物である。

 

そんな、私達二人が、食事も一通り終わり、何も食べたくはないのだが、酒はまだ飲みたいということがあった。母は、相変わらず、安物の赤ワインを飲んでいた。私は、何か酎ハイのようなものを飲んでいた記憶がある。

 

さて、何を肴に飲むものかと。母が、本当の酒飲みは塩で酒を飲む、といったことを申したのである。しかし二人揃ってそれはいけないと、その考えは払拭した。私達は酒飲みではあるが、本当の酒飲みなのだろうか、いや、そうではない。もっと正確に言うと、そう思いたくはない、ということである。

 

その時、母と私の間に、塩では酒を飲まないという、堅い約束が結ばれたのである。少なくとも私はいまだにその約束を守っている。では、その時は結局を酒の肴にしたのかというと、ふりかけである。そう、あのご飯にかけるふりかけである。

 

この時は、甘辛く味のついたかつおを乾燥させたものや、のり、ごま、などがはいっている、ふりかけだったのだが、これが酒にかなり合うのだ。ご飯と合うのだから、当然といえば当然なのだが、想像よりも酒が進んでしまうのである。

 

この話を、周りの人間に話すと、ふりかけも塩とほとんど変わらない、などと言われるのだが、塩とふりかけは全く違うのである。ふりかけは、種類も豊富であり、味に奥行きも深みもあり、それが酒をさらに美味しくさせるのだ。

 

さらに私はこれを拡大解釈し、先日ごま塩で酒を飲んだのだが、これがまた酒の肴として優秀なのだ。ごまの香りと、程よい塩味が自ずと酒を欲してしまうのである。

 

もう一度言っておく。私は塩では酒は飲まない。

もしも私の体験を『セトウツミ』風に伝えるなら

瀬戸

なんだかんだハンバーガーが一番じゃない?

 

内海

一周回って?

 

瀬戸

そう。てりやきとかフィレオフィッシュも好きで、ビックマックももちろん好きやで。おいしいねんけど、コスパを考えるとハンバーガーかなって

 

内海

安いよなー

 

瀬戸

んでこの前もその法則でハンバーガー頼んんでん

 

内海

うん

 

瀬戸

そしたらさ、明らかに手抜かれてて

 

内海

いや、どういうことやねん

 

瀬戸

まず肉挟まってる?ってくらい薄いねん。でもまあ食べるやんか、もちろんちゃんと肉は挟まってんねんで。ケチャップの位置いがんでて、ピクルスもかたまってて、それを最初に食べたもんやから、後半パンとハンバーグの味しかせえへんかってん

 

内海

適当に作られててんな

 

瀬戸

安いし、マクドナルドやし、そこまで期待してへんけど、さすがにひどかった

 

内海

でもそれ、逆から食べたら後半味濃くてよかったやん

 

瀬戸

その発想になるんか。ここ来る前にマクドナルド寄ったから、今日はチーズバーガーいったろう思ってな

 

内海

うん

 

 

瀬戸

でも夜カレーやからバーガーに2個はきついなと思ってな

 

内海

いや、知らんけどな

 

瀬戸

んで、チキンだけのにしてん、シャカシャカチキン。

 

内海

あー、わかるで

 

瀬戸

んであれ味があるねん

 

内海

粉入れてシャカシャカするからな

 

瀬戸

店員が「お味はチーズ、カレーと、ペッパーがございます」って

 

内海

3つも選べるんや

 

瀬戸

おれもそう思って、ちょっとテンション上がってん

 

内海

あ、そう

 

瀬戸

チーズはチーズバーガーとかぶるしなー、でも夜カレーやからなー、でもペッパーだけむてのもなーって

 

内海

いや、はよ決めろや

 

瀬戸

んでカレーしようと思ってん。ほら、おれってカレー好きやん?

 

内海

知らん

 

瀬戸

昼カレーでも夜もカレーいけるタイプやん?カレー味のチキンとか余裕やんか

 

内海

知らんし、多分誰も興味ないで

 

瀬戸

んでカレーでお願いしますって言ったら店員さんが、「え!?」って驚いた顔して、「お味は、チーズ、カレーと、ペッパーです」ってさっきと全く同じこと言うてん

 

内海

マスクしてたから聞き取られへんかったんちゃうん?

 

瀬戸

うん、おれもそう思ってもう一回言ってん、カレーでって

 

内海

そしたら?

 

瀬戸

店員さん明らかにイラッとした顔して「お味はチーズ、カレーと、ペッパーです」ってまた言うねん

 

内海

おかしな話やん

 

瀬戸

シャカシャカチキンはメニューにあるねんけど、味までは書いてへんねん

 

内海

困ったな

 

瀬戸

店員さんもマスクしてるし、カウンターの上に仕切りあるし、多分お互いあんま聞こえてへんねん

 

内海

あー、はいはい

 

瀬戸

だからもうええわ思って、はっきり聞こえてたペッパーにしてん。ペッパーくださいって、ペッパーだけの味ってなーと思いながらな

 

内海

確かにチーズ、カレーに比べたら物足りひんな

 

瀬戸

そしたら、店員がもう諦めたみたいな顔してん

 

 

内海

ペッパーでも?

 

瀬戸

せやねん

 

内海

口臭かったんちゃう?

 

瀬戸

いや、マスクはしてるからな!

 

内海

ほな、なんで?

 

瀬戸

それが、商品受け取った時に判明してん

 

内海

あー、ちゃんとなんか原因があってんな

 

瀬戸

ペッパーって言って頼んだシャカシャカチキンの粉がレッドペッパー味やってん

 

内海

ん?

 

瀬戸

ペッパーじゃなくてレッドペッパーやってん

 

内海

あー、味二種類やったってこと?

 

瀬戸

そう!チーズ、カレーとペッパーじゃなくて、チーズか、レッドペッパーやってん

 

内海

しょーもな

 

 

もしも千原ジュニアが私の広島旅行でエピソードトークをしたら

あのー、宮島にね、弥山っていう山あるの、ご存知ですかね?

 

みせん、って読むんですけど、恐らく、恐らくね、これは僕の予想なんですけど、もともと、御の山、で弥山って呼ぶようになったんちゃうかなと思てるんですね

 

っていうのも山の中にね、御山神社ってのがあってね、これはみやま神社って読むんですど、自然信仰みたいなんあるんちゃうかなと思うんですよ。

 

んで、この前宮島行ったんですけど、弥山から見る景色が、ほんまの宮島や、みたいな話を聞いてね、まあ宮島って日本三景って言われてるわけじゃないですか、それのほんまの景色が山登らな見られへんってなったら山登るじゃないですか

 

ほな登ろかー、いう話になって、ロープーウェイもあったんですけど、ロープーウェイ使わずに登山道登ったんですね

 

ほな、その登山道が階段に次ぐ階段の、なかなかの勾配の道やったんですね、しもたー、思いながらもさっき言ってた御山神社とか、その他にも地蔵とかお堂みたいなんもあったんで、それらを見ながらなんとか頂上着いたんですね

 

まあ、景色は綺麗でしたわ。んで、頂上の展望台みたいなところに、小さな売店ってのがあったんで、水かなんか買おかーいうて行ったんですけど、ほんまにめちゃくちゃ小さい売店なんですね、いや、ほんまに、3人入ったら身動きとれへんくらいのね

 

ほんで、まあ、そういう店の人あるあるというかね、よう喋る人でね、先に入ってたおばちゃん連中が捕まってるんですよ、多分山の話してるんでしょうけど、

 

でね、一番びっくりしたのが、その売店小さすぎて、なんかしょーもないキーホルダーみたいなもん以外なんも売ってないんですよ、水なんかもちろんないですよ、

 

いや、ほんまびっくりしてね、小さいにもほどがあるで、言いながら頂上おってもしょうがないんでね、足早に下山したんですよ

 

んで、弥山って奇岩怪石でも有名で、これなにかって言ったら文字通りなんですけど、奇妙な岩とか怪しい石が、もうそこらじゅうにあるんですね

 

まあ例えばで言うと、岩のトンネル言うて、大きい岩、あれどれくらいやろ、5メートルとかは普通に超えてるんちゃうかな、くらいの岩がね、なんかこう、絶妙に組み合わさってトンネルみたいになっててくぐれるんですよ

 

他にも、山肌にね、こうばーってむき出しになってる一枚岩があったりするんですよ。それはなんか150メートルくらいあるらしいんですけど、まあそんなんがそこらじゅうにあるんですよ

 

んで、多分、最初にも言うたんですけど、こういうとこから自然信仰的なん始まったんちゃうかなおもててね、まあ不思議な岩の近くには絶対お地蔵さん置いてあったりね、まあ、お堂とか神社とかもその関係ちゃうかなと思ったりね

 

正直、僕は、そういうなん全く信じてないんですね、申し訳ないですけど。ただ、さすがにこれは信じざるを得えへんぞってことが、この時起こりまして

 

まあ、これ下山中に起こったんですけど、ばぁーって下りてたら、逆に向こうから登ってくる2人組現れたんですね。んー、あれどれくらいやろ、50代くらいですかね、夫婦っぽい感じの人らでしたわ

 

んで、我々がちょーど、水かけ地蔵っていうお地蔵さんですね、の前ですれ違うような感じになったんです。水かけ地蔵ってわかります?僕この時初めてみたんで知らんかったんですけど、あれ水かけながら願い言うたら叶うみたいなやつなんですね

 

僕、初めてやったから、ちょっと見てたんですけど、そしたら奥さんの方がかばんがさごそしだして、財布出したんですね、ほんならご主人の方が、いや、もうええから、はよ行くで、みたいなこと言うてるんですよ

 

これ、あくまでも、僕の予想なんですけど、この奥さん、さい銭できるとこは全部さい銭してるんちゃうかな思ってね、んでご主人の方はもうええやんってなってたんやと思うんですね

 

んで言いながらもうご主人先々歩いて進んじゃってるんですよ、奥さんも慌ててさい銭ほり投げて、なんか唱え出したんですよ

 

よーよー聞いたら、おんあびらうんけんそわか、言うてるんですね、めちゃくちゃ早口で、おんあびらうんけんそわか、て3回唱えて、ご主人追いかけて登山続けはったんです

 

で、これ確か大日如来に唱えるやつなんですよ、んで地蔵が大日如来なのかとか細かいこと知らないですけど、これ水かけ地蔵なんですよ、水かけながら願い事言うってちゃんと書いてあるんですよ

 

だからね、これいいんかわからんのですけど、僕がね、代わりにね、水かけたんですよ、さっきの奥さんの代わりに、あんなけ一生懸命早口で唱えてね、さい銭までしてね、水かけな意味ありませんでしたーはさすがに可哀想やと

 

ほんなら、これ、早速効果あって、そこで、とんでもないアイデア降ってきて、これ、神からの贈り物、まあ地蔵からの贈り物なんですけど、自力で得たものではないんでね、著作権とか、そういうのはなしにしてね、もう使いたい人いたら、どうぞどうぞって感じでね、全然使ってもらって構わないんですけど

 

あのー、霜降り明星のひとくだり降ってきましてね、せっかくなんで、ちょっとやらせてもらうんですけど

 

せいや

今日はね、登山の感じおれが再現しよかな思ってね

 

粗品

あー、登山いいですねー、その感じをせいやさんが再現してくれると

 

せいや

あ、お地蔵さんある

 

粗品

あー、山の中ってお地蔵さんとかほこらみたいなんあるイメージありますよね

 

せいや

お、これは水かけ地蔵かー

 

粗品

水かけ地蔵たまにありますよね、お水かけながら願い言うたら叶うみたいなやつですよね

 

せいや

お地蔵さんが2つ並んでるから、両方に水かけてと

 

粗品

あー、しっかりね、2つあったら両方にかけてくださいね、

 

せいや

これは地蔵じゃない

 

粗品

ん?ん?どうしました?

 

せいや

いや、これは地蔵や、いーや、これは地蔵じゃない

 

粗品

あれ?地蔵同士で言い合いしてるんですか?

 

せいや

地蔵や、地蔵じゃない、地蔵や、地蔵じゃない

 

粗品

これがほんまの水かけ地蔵!地蔵が水掛け論やっとるやないか

 

っていうのが降ってきたんですけど、これは自然信仰信じざるを得ないですよね。